secunda

健全

本の紹介「薔薇と荊の細道」

いま、石川達三著「薔薇と荊の細道」をよんでいる。

読みはじめたのは、買ってからしばらくたった今月のはじめだけれど、

日が経つにつれ、まるで私はこの本に合わせて行動してきたのではないか

と思わせられるほど、今の自分をうつしたような本だ。

 

読んでいる途中なのであんまりストーリーを説明することはできないけれど

若い女が、セックスとか、恋愛とか、女という性に苦悩する話

良いとおもった文章を抜粋

 

「彼女等はある一種の直感力のおかげで、自分に個性がないことを知っている。(中略)自分と他の女性とを区別するものが、顔かたちに過ぎないものであることを知っている。衣装の美醜にすぎないものであることを知っている。(中略)だから彼女たちは、きわめて微細な差別をお互いの間から発見しようとつとめる。皮膚の色の極くわずかな白さと黒さ、睫毛の長さの一ミリメートルの差を計算し、瞼が一重であるか二重であるかをたしかめる。半襟が汚れていなかったか、ハンドバッグか今年の流行であるか去年の流行であるか。(中略)女が女であるかぎり、女を女から区別する方法は見つからない。」

 

「それほどまでにしなくても、私は一生ひとりで、オールドミスになって、修道院の尼さんになって、誰にもいじめられないで、少しずつ働きながら、ほそぼそと生きて行けばい〃。そうすれば恥ずかしい事も苦しい事もなしに、幸福は少いかも知れないけれど、不幸も少くて、静かに美しく生きて行かれるだろう。」

 

「通俗な、平和な、生活の姿だった。その三角形をした一つ屋根ごとに、一組の家族が住んでいる。そこに良人と妻とが居て、ひそやかに彼等の夜をむかえている。何万、何十万の夫婦、何百万の夫婦!そこでは、何百万の女たちがあた〃かくその良人の胸に抱かれ、夜のやみにかくれ、人にかくれて、ひそかにその肉体をたのしみ、慾情に陶酔し、何百万の子供をみごもって行くのだ。(人間。……)それが人間の生活だった。」

 

「当然、男に要求さるべき立場に立ち、男にあらゆる優位を与えた位置に身を置きながら、しかも男から何の危害をも加えられなかったとき、彼女は失望を感ずるのだった。失望を感ずるというのは、危害を加えられることを期待していたからだった。危害……それは女にとってこの上もない栄誉ではなかっただろうか。(中略)肉体に危害を受けなかった代りに、一番大きな精神的危害を与えられたのだ。女でありながら、女としての意味を持たなかった。これ以上の侮辱があるだろうか。」

 

石川達三は明治生まれで、この本を書いたのは1952年

どうして古いおじさんが、私の気持ちをうつくしく知性的な文章で表現できるのかしら

どうしてこの人は女の気持ちがそっくりそのままわかってしまうのだろう

私は処女であったときの悲しみを思い出し、

あのときの苦しみに比べれば、今の苦しみのすべてはなんでもない気がするのだ